わたしの わ

「話」「輪」「和」・・・。たった1文字の「わ」にいろんなすてきな意味がある。旅の話、人の輪、話して広がる和。私にまつわる「わ」を集めてみます。

春ですよ

 

「春ですね」とねずみがいった。

「春ですよ」とカエルがいった。

 

こんな出だしで始まる絵本はなかったっけ?

登場人物がねずみでもカエルでもなかったかもしれない。

セリフも実は違ったかもしれない。

ってかそんな本ないかもしれない・・。

 

でも昨日、

春のあたたかな陽気の中を歩いてたら、

そんなやりとりが頭に浮かんだ。

 

絵本の中には、そういう「意味のないやりとり」で始まったりするものがある、と思う。

ただ事実を述べて、それに誰かがそのまんまを返すような、そんなやりとり。

 

小さな子どもには、そんな単純なやりとりがどこかおもしろいらしく、

飽きもせず、何度も何度も読んでと言ってきたりする。

わたしもきっとそうだった。

 

やがて、小学生、中学生になって、

ある程度モノがわかってくると、

「だから?」と、半ば反抗的な態度でそのやりとりを見たくもなってきたりする。

わたしもそんなちょっと冷めた子だったかもしれない。

 

が、だ。

今、わたしはそういうやりとりっていいよなーって思っている。

 

日々、春めいていく中、

あ、今日は昨日よりお日さまの光がやさしい とか、

あ、今日は昨日より風があったかい とか、

そんなちょっとしたことに春が来たのを感じて、

なんとなく心ホクホクしている時に、

「春ですね」と声をかけると、

「春ですよ」と返ってくる。

 

もちろん、「そうだね」とか「うん」とかの返事でもいいんだろうけど、

「春ですよ」と

こちらの言い方に合わせるように、ちょっぴりこちらの物言いをまねるように返事をしてもらえると、

心が寄り添うような、そんな感覚がする。

 

 

もう何十年と英語を勉強して、

母国語ではないその言語を使う度に、

言葉のニュアンスとか、その伝わり方をすごくすごく気にしてきた。

すごく気にしてきたせいか、

言葉には敏感な方だと思う。

ニュアンスを大事にするあまり、

他人の言葉に対して過剰に反応してしまうところがあるのかもしれないけど。

 

 

ある時、ふとオフィスに置かれてたものがあって、

「これ、なんですか?」って聞いたら、

「わからん」って返ってきた。

 

「わからん」って。

 

関西弁を話さないから、ちゃんとした言葉のニュアンスを理解できていないだけなのかもしれないけど、

実はすごくイラっとした。

イラっとした元を探ると、

「なんでそう非協力的なのさ」と反発した自分がいる。

 

「わからん」

 

その一言が、

「これ以上は聞いてもムダ」

「はい、これでのこの会話は終了」って

シャットアウトされてしまうような、そんな言葉に聞こえた。


もちろん、わかってる。

彼はわからなかったからそう答えたまで。

フィルターを通して見たのはわたしだって。

 

でも、

「わからんなー」でもよかった。

「わからん。なんやろ?」とも言えたはず。

「なんやろね?」でもいい。

微妙なニュアンスの違いだけど、少なくともこちらに寄り添うような言い方ってあったよね?って。

 

こんなことを言うと、めんどくさいやつって思われそうだけど、

 

言葉を超えて伝わるものは必ずあるって思ってる。

 

ゲストハウスに来る中国のお客さん。

向こうは中国語、こっちは英語で全然受け答えはぐちゃぐちゃでも、

身振り手振り、大げさな表情やなんかで、

なんとかわかりあえたりする。

中には、英語も日本語もできなくてごめんねーな様子で、

「謝謝・・」って言ってくれるようなお客さんもいて、

「大丈夫。あなたが一生懸命わたしをわかろうとしてくれてるのはわかるし、わたしが頑張って伝えようとしてるのもわかってくれてるよね」って、

そんな風に感じたりする。

 

言葉で会話してるんだけど、

言葉の外で通じ合えることってあると思う。

 

言外の何か。

言外のコミュニケーション。

 

全然違う言語を話してても妙に通じ合える時もある一方で、

 

同じ言語を話してて、

表面上、言葉のやりとりとしてはうまくいってるように見えるのに、

なんとなくのズレがあって、

「言いたいことはそれじゃない」ってことってある。

 

陳腐な表現になるんだろうけど、

「心で通じ合う」ってことなんだろうな。

 

 

「春ですね」

「春ですよ」って。

 

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