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わたしの わ

「話」「輪」「和」・・・。たった1文字の「わ」にいろんなすてきな意味がある。旅の話、人の輪、話して広がる和。私にまつわる「わ」を集めてみます。

アイルランドの"わ" 語学力を鍛えるの話

 

ワーホリ申請センターに書類を送ってしまった今、

航空券や保険の手配も済んでいるし、

特に差し迫った契約事項もなく、

ただただ「待ち」の状態になっています。

 

3度目のワーホリ。

学校に行くつもりはないし、ホームステイもないので、

とりあえず、アイルランド入りする日から2、3日ぐらいの滞在先(ホテルかホステルか)は決めておかなきゃなーな、そうな感じです。

 

でも一応、

最近はお勉強を頑張っています。

 

英語

 

・・ではなく、スペイン語のお勉強を・・笑

アイルランドの準備ではなく、ヨーロッパに行く方の準備ですね。。

 

もともと、大学の授業でやっていたこともあり、

前知識はあるので、もう少し話せるようになってスペインに行きたいなー、と。

なんならスペインの友達を驚かせたいぐらいの感じです。

 

で、

英語はどうなんだってことになりますが、 

ゲストハウスで働いている今、日々の会話の70%は英語で、

うれしいことにネイティブの人から「英語上手ね」と言ってもらえたり、

(オーストラリアには行ったことないからたぶんニュージー訛りなのか、オーストラリア人の友達の影響なのか)「オーストラリアのアクセントがあるね」と言われたり、

発音はいいらしく、「日本人らしくない」英語が話せているようです。

なので、英語は大丈夫だろうと、どっかりかまえているわけです。

 

誤解しないでほしいのは、

その英語力がなんとなく身についたものでは決してないということ。

確かに、ニュージーにワーホリで行ったとか、カナダにワーホリで行ったとか、

英語が磨かれる環境に身をおいていたことは大きいと思いますが、

ただただ「いる」だけで英語が身についたわけではありません。

 

自分で英語を学ぶ時間を「作って」いたからです。

 

私の英語を聞いたり、

私があちこち海外へ行っていたって話を聞くと、

どうしたらそんな風に英語が話せるようになるのかと聞いてくる人たちがいます。

大抵は「どうしたら楽に英語が話せるか?」という質問である気がするのですが、

 

一言、

 

楽な道なんてありません。

 

やったらできます。

ひたすらやるしかありません。

 

机に向かってでも、どんどん誰かと話すでも、

なんでもいいから1つでも意識してやらなきゃ上手くなりません。

  

以前にも書いていますが、

私は大学で英語を専攻するまで、

海外に行ったこともなく、英会話教室に通っていたわけでもなく、

L と R の音の違いすらも知らずにそれっぽく発音を真似て英語を話しているような人でした。

 

それでも、「英語が上手くなりたい」の一心で、

学生の頃はお金もなかったけど、ないならないなりに無料の教材を探しまくってなんとかやってました。

podcastでいくつかの番組を聞きまくったり、

アメリカのドラマのセリフ集みたいなものをネットで探して、聞き取れなかった部分をひたすら聞いたり、

ネイティブの人たちに日記を添削してもえるサイトに登録して、その中で仲良くなった人とSkypeで実際に話してみたり。

とにかく英語に触れる時間を「作って」勉強しました。

いくら英語を勉強しても全く飽きないという点は私の強みというか、

ひょっとしたらセンスがあるってやつで、

それがあってここまでやってこれたってこともあるかもしれません。

それでも、なんにせよ、

 

やらなきゃできません!

 

なにがなんでもやらなきゃ上手になりません。

楽な道はなーい!

 

本気の人は誰かにやり方を聞く前に、

もうすでに何かしらとりかかっているはずです!

 

・・って言いながら、これ自分に言い聞かせてます。

やらなきゃうまくならないぞ、スペイン語って。

 

 

ちなみに今はコチラの本を使ってます。(・・図書館でみつけたやーつ。)

まずはこれだけスペイン語 (CD book)

まずはこれだけスペイン語 (CD book)

 

 困ったら英語に頼れるというズルい気持ちもあり、

フレーズで覚えてしまおうという作戦です・・

全部PDFにしてiPadに読み込んで、いつでもどこでも勉強できるようにしました。

まずはここに載ってるフレーズ全部覚える。

使えないのもあるかもだけど、応用が利くのもあるはず、と。

 

英語もまだまだ頑張ります。

 

両方頑張ります。

 

大好きだから頑張れます。

 

増えるためのマイナスを作る

 

海外へ飛び出して行く時、

長旅から日本へ帰ってきた時、

まず身の回りの整理が始まる。

 

普段から「タンスの肥やし」的なものがあるのが嫌なタイプで、

着なくなった服とか、

読まない本とか、

使わないモノを、

捨てたり、あげたり、売ったり、

「手放す」ということを日常的に行ってはいるのだけど、

海外へ行くとなると、

それが大々的に行われる。

ある種、儀式というか、通過儀礼といいますか・・。

 

売れるものは売って、少しでもお金に変えておこうかっていうこともあったりするけど、

それより何より、

これから「自由になる」ということを自分に言い聞かせているのかもしれない。

 

だいたい、

海外に行くっていう時点で、すべてのモノを一緒に持ってはいけないわけで、

絶対整理は必要なんだけど、

たとえ実家に置いておけるにしても、

「眠らせておく」って感覚さえも嫌に感じる。

 

なんとなく、

「モノを所有する」ということには

「縛られる」感覚があるような気がして、

本気で自由になるためにいろいろを「手放す」のかもしれない。

 

物持ちの良い方ではあり、

気に入ったものはながーく使う。

今のカメラも5年以上になるし、

靴とかコートとかも流行から大きく外れない程度に長く愛用する。

「愛用」と言う通り、愛を持って使っていると結構胸を張って言える。

たぶん、そういう風に自分の持ち物の中の「好き」がはっきりあるからこそ、

時々、使わないものを手放していく必要があるのかもしれない。

 

モノを買う時にはじっくり考えて買うから「嫌い」で捨てたり、売ったりするわけじゃない。

「好き」の気持ちを大事にしたいから、さしてテンションの上がらないモノを手放す。

少数精鋭の本当に好きなのモノをスタメン入りさせておきたいといいますか。

「好き」の純度を高める。そういうこと。

 

つまりは、

海外に行くっていうのは、

わくわくキラキラ心踊るわけで、

その状況の中でただただ「好き」に囲まれて、自分を「高く」保ちたいということなのかもしれない。

あんまりオーラとかなんとかスピリチュアルな方に傾いて話したくはないけど、

いくつかの持ち物に漂う「気」みたいなのが自分と合わなくなってるってこともある。

そういうものは手放す。

・・自分の思考が変わると持ち物も変わるって言ったのは誰だったっけ?

 

「手放す」行為の中には、

「増やすためのマイナスを作る」っていうのもあると思ってる。

持ち物なんてスペースがある限り増やし続けられるものなのかもしれないけど、

わたしには自分の所有できるキャパっていうのがあるらしく、

そこを本当にいいものだけで満たすためには

ある程度容量が増えたら消していかなきゃならない。

物欲もそんなにある方じゃなく、

わたしの容量はかなり小さめなようで、

だからこそ定期的なクリーンアップが必要になる。

「手放す」行為は一見マイナスの行為だけど、また増やすためのスペースを作るためには決してマイナスにははたらかないのです。

 

 

そう、

だから今また整理を始めている。

 

今回はアマゾン系?のリコマースさん協力のもと、気持ちよく「持ち物」とお別れしていくことにしました。

 

 

身軽になれば走るのも楽だし、スキップもできちゃうね、みたいなそんな気分。

 

さて、わたしの新しいスペースには何が増えていくだろう。

・・というか、何を増やしていこうか。

 

「開いてるやつ」と「閉じてるやつ」、「飼い慣らされるやつ」

前に、

もうだいぶ昔になっちゃうんだろうけど、

キムタクが出てるCMで、

「開いてるやつ」と「閉じてるやつ」っていうのがあったけど、

時々・・ていうかわりによくそのことを考えたりする。

 

それが一体なんのCMで、どんな展開だったかもよく覚えてないけど、

そのフレーズが語られた背景とかもはや関係なく、

わたしの中でちゃんと意味を持ち、ひとつの思考として根付いちゃったんだろうな。

 

「開いてるやつ」と「閉じてるやつ」

 

これらがちゃんと意味をなしたのはわたしが「旅人」をしたからだと思ってる。

 

初ワーホリでニュージーにいた頃、

ワーホリ期間の1年のうち後半4か月は、

WWOOF

World Wide Opportunities on Organic Farmsっていって、無農薬とか、人間と動物の共生とか、環境に配慮した農場を営む人たちのところに住まわせてもらう代わりにお手伝いをして、有機農場についての知識を深められるっていう会員制プログラム。・・正直、全部が全部有機農場ではないんだけども。。くわしく知りたい人はコチラをどうぞ→WWOOF ジャパン ・・いやいやNZのが気になるよって人はコチラ→WWOOF NZ

とか、

バックパッカーズ(日本で言うゲストハウス)を渡り歩いたり、

時にはフリアコ(働く代わりに宿代タダってやつ)をしたりして、

南島をぐるっと回っるてことをしてました。

 

滞在期間を「長く」というより、

経験できることを「多く」という方に重点をおいていたため、

それぞれの所で長くいても2、3週間で街から町へ、町から都市へという感じで移動を繰り返していたあの頃。

 

WWOOFでお世話になった人たちはみんなステキな人たちで、

とってもあったかい日々を過ごしてたっけ。

 

それが、お願いしてた期間が終われば、

気の向くまま、新しい土地を訪れて旅を続けていくわけで、

そうなるとふと急に寂しくなる瞬間があった。

今までホストファミリーたちがいたのに急に1人旅になるんだから当たり前だよね。

 

わりと大きめの都市にでてくるとそう感じることが多くて、

そういう時はいつも、

 

こんなに人がいるのに、

こんなにたくさんの人が道を歩いてるのに、

わたしはこの中の誰ひとりとして知らないんだ・・

 

って、驚きもありつつガッカリのようなそんな不思議な感情を抱いてた。

 

でもそのおかげか、新たな滞在先で他の旅人たちに出会えると、

会話が始められること自体にありがたみがでてくるし、

ましてや名前で呼び合って話ができるなんて、

なんてすごいことなんだ!って思えてきたりして。

 

そんな経験から、

人との出会いってすごいんだなーってすごく思うようになった。

 

 

サン=テグジュペリの「星の王子さま」はもう何度読み返したかわからないほどお気に入りの本。

物語の後半で、1匹のきつねが出てきて、

「飼いならす」なんてのがでてくるけど、

今ならそれがわかる。・・っていうかその意味がわかる気がするから何度もその本を読むのだけど。

 

日本だけで見たって1億何千万人って人がいて、

世界には70億人あまりの人がいて、

その中で、

出会って、名前が知れて、しかも運良くその人の好きなものまで知れたりするって

すごいことだよね、って。

他の人たちと区別のつかない人じゃなくなるってすごいよね、って。

 

だから、過剰なほどに意識してでも、

ご縁は大切にしたいって思うようになった。

 

だからわたしは「開いてるやつ」でいようって決めたんだ。

 

ここでいう「開いてる」って言うのは、

単純に「心を開いていて受け入れ態勢がある」ってことでなく、

「相手のことをもっと知りたい」って言う好奇心とか、

誰かのいいものを掴みとろうとするアンテナがビンビンに立ってる状態

ってかパラボラアンテナ全開!みたいなことだとわたしは信じてる。

 

とはいえ、だれにもかれにもオープンに行こうとはいかず・・

残念ながら相性ってのもあるし、

どうしても1人でいたい時だってある。

こっちばっかりが全開で行き過ぎて相手が鬱陶しく思っちゃうことだってあるわけだし。

それでも、

心の根底の部分で、人と出会えるありがたみがわかってたら、

堂々と「開いてるやつ」であり、「飼い慣らされるやつ」なんだと思う。

 

出会いは大事大事。

知り合えるってすごい。

 

また読みたくなってきたな。

きっと読んだことがある人の方が多いんだろうけど、

「旅人」ならわかる本。もう一度ぜひぜひ・・。

星の王子さま (新潮文庫)

星の王子さま (新潮文庫)

 

 

 

遅れてきた「心臓音のアーカイブ」

 

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どんだけ感じ入ってたんだか・・って、半ば飽きれるくらいなんだけど、

急に「心臓音のアーカイブ」のことを考えてた。

 

 

もうひと月も前になる。

恋い焦がれてた直島に行ったって話を書いたけど、

 

その時、

ご同行頂いた方のリクエストで、豊島にある「心臓音のアーカイブ」にも訪れてました。

 

心臓音のアーカイブ

 

世界中の人たちの心臓音が集められている場所。

世界中の人たちの心臓音が聴ける場所。

 

正直、その美術館の紹介文を読んでも全然そそられなかった。

行ったその日も「なんだコレ」って思ったのが正直な感想・・。

 

でもね、

急に今日その場所を思い出した。

そして、結構衝撃的な体験をしてたんではあるまいかと考えた。

 

「心臓音のアーカイブ」は2つの空間からなる美術館。

1つは、

薄暗い部屋の中、どこかの誰かの心臓音がお腹に響くくらいの大音量で流れてて、

その音に合わせるようにして部屋の奥にぶら下がった電球か光ったり消えたりを繰り返すようなそんな空間。

 

わたしが行った時には、日本人女性の心臓音が流れてたんだけど、

その部屋に入ってすぐ、なんだか薄気味悪いような、居心地の悪いような

そんなことを感じたのを覚えてる。

その理由の1つには音が大きすぎて落ち着かないっていうのもあったんだと思う。

部屋も薄暗いし、電球のピカピカも雷みたいでなんだか怖かった。

 

でも、そういう部屋自体の演出以上にわたしに居心地の悪さを与えたのは、

その時流れてた心臓音の「リズム」だったように思う。

 

つまりは、

心臓音のペースが合わなかった。

 

音のペースが速すぎた。

 

自分の音とちゃんと比べたわけじゃないけど、

わたしの心臓のペースより速すぎて、なんだか無駄に息苦しくなるような

そんな気がした。

急かされるようにドクンドクンとなる心臓音を聞いていると、

無意識のうちに呼吸が浅くなるようで、もう自分らしくいられない!・・みたいな、

そんな感じがした。

 

そんなことをぼんやり思い出してたら、

自分のペースで行けばいいんだよね、やっぱりって、

そう急に思えてきた。

 

 

「心臓音のアーカイブ」にあるもう1つの空間は、

パソコンが3台並び、世界中のいろんな人たちの心臓音を聴くことができるようになっている。

怖いもの見たさ(聴きたさ?)みたいなのも手伝って、

とりあえずイギリス人とかドイツ人の誰かとか、日本人の誰かの心臓音を聴いてみたけど、

みんなそれぞれの「リズム」があって、

すっ転ぶように「ドドン」って鳴らしてみたり、妙に速く打ってみたり、

穏やかにゆーくり鳴らしてみたり、みんな違う。

 

全然当たっちゃいないかもだけど、

「この人はせっかちそう」とか、「この人はおおらかな人かな」とかなんとか

勝手に性格を推測したくなるくらい、

それぞれが個性を持って聞こえてくる。

 

心臓の打ち方なんて、もうその人の生きる根本であるわけで、

その「リズム」に誰も口出しできないし、口出す意味がない。

それはその人の、その人「だけ」のリズムなんだもん。

 

だから、

無理に誰かの心臓音に合わせて自分の音を鳴らす必要はない訳で、

あの薄暗い部屋の中で起こったことっていうのは、

大音量で流れる他人の心臓音に圧倒されて

無理に自分のリズムをその音に合わせようとしてしまったことで感じた息苦しさだったんじゃないかと、

そう思った訳なのです。

 

そうすると、

人に合わせすぎるとやっぱり苦しくなるのねーって結論になる、と。

 

頭でっかちに考えすぎて、直感を無視しちゃうことってあると思うんだけど、

もう有無を言わさず身体が反応してる時って、いくらごまかしても無理なんです。

言葉にも表せない、感覚としても感じきれない身体の反応が直感として響いてくることもあるわけで、

ふと日常の中である「なんかおかしいな」の感覚って本当大事よねー、って、

そんなことを思ったっていう。

 

 

って、なぜあの旅行から1ヶ月も経ってこんなことを考えてるのか意味わかんないけど、

どうも反芻するのに時間が必要だったらしい。

・・で、こうやって書いてみてるけど、この心臓音のプロジェクトを始めたクリスチャン・ボルタンスキーはこんな思考に至ることなんてちっとも意図してないんだろう。

 

ま、人生そんなもん。

わたしの思考なんてそんなもん。

それでいいじゃん。それがわたしの「リズム」なんです。

 

なんかまたぐだぐだ書いちゃってるけど、

 

わたしの直島・豊島を讃える気持ちはいまだ薄れていないってことを再確認したところで

今日はおしまい。

 

春ですよ

 

「春ですね」とねずみがいった。

「春ですよ」とカエルがいった。

 

こんな出だしで始まる絵本はなかったっけ?

登場人物がねずみでもカエルでもなかったかもしれない。

セリフも実は違ったかもしれない。

ってかそんな本ないかもしれない・・。

 

でも昨日、

春のあたたかな陽気の中を歩いてたら、

そんなやりとりが頭に浮かんだ。

 

絵本の中には、そういう「意味のないやりとり」で始まったりするものがある、と思う。

ただ事実を述べて、それに誰かがそのまんまを返すような、そんなやりとり。

 

小さな子どもには、そんな単純なやりとりがどこかおもしろいらしく、

飽きもせず、何度も何度も読んでと言ってきたりする。

わたしもきっとそうだった。

 

やがて、小学生、中学生になって、

ある程度モノがわかってくると、

「だから?」と、半ば反抗的な態度でそのやりとりを見たくもなってきたりする。

わたしもそんなちょっと冷めた子だったかもしれない。

 

が、だ。

今、わたしはそういうやりとりっていいよなーって思っている。

 

日々、春めいていく中、

あ、今日は昨日よりお日さまの光がやさしい とか、

あ、今日は昨日より風があったかい とか、

そんなちょっとしたことに春が来たのを感じて、

なんとなく心ホクホクしている時に、

「春ですね」と声をかけると、

「春ですよ」と返ってくる。

 

もちろん、「そうだね」とか「うん」とかの返事でもいいんだろうけど、

「春ですよ」と

こちらの言い方に合わせるように、ちょっぴりこちらの物言いをまねるように返事をしてもらえると、

心が寄り添うような、そんな感覚がする。

 

 

もう何十年と英語を勉強して、

母国語ではないその言語を使う度に、

言葉のニュアンスとか、その伝わり方をすごくすごく気にしてきた。

すごく気にしてきたせいか、

言葉には敏感な方だと思う。

ニュアンスを大事にするあまり、

他人の言葉に対して過剰に反応してしまうところがあるのかもしれないけど。

 

 

ある時、ふとオフィスに置かれてたものがあって、

「これ、なんですか?」って聞いたら、

「わからん」って返ってきた。

 

「わからん」って。

 

関西弁を話さないから、ちゃんとした言葉のニュアンスを理解できていないだけなのかもしれないけど、

実はすごくイラっとした。

イラっとした元を探ると、

「なんでそう非協力的なのさ」と反発した自分がいる。

 

「わからん」

 

その一言が、

「これ以上は聞いてもムダ」

「はい、これでのこの会話は終了」って

シャットアウトされてしまうような、そんな言葉に聞こえた。


もちろん、わかってる。

彼はわからなかったからそう答えたまで。

フィルターを通して見たのはわたしだって。

 

でも、

「わからんなー」でもよかった。

「わからん。なんやろ?」とも言えたはず。

「なんやろね?」でもいい。

微妙なニュアンスの違いだけど、少なくともこちらに寄り添うような言い方ってあったよね?って。

 

こんなことを言うと、めんどくさいやつって思われそうだけど、

 

言葉を超えて伝わるものは必ずあるって思ってる。

 

ゲストハウスに来る中国のお客さん。

向こうは中国語、こっちは英語で全然受け答えはぐちゃぐちゃでも、

身振り手振り、大げさな表情やなんかで、

なんとかわかりあえたりする。

中には、英語も日本語もできなくてごめんねーな様子で、

「謝謝・・」って言ってくれるようなお客さんもいて、

「大丈夫。あなたが一生懸命わたしをわかろうとしてくれてるのはわかるし、わたしが頑張って伝えようとしてるのもわかってくれてるよね」って、

そんな風に感じたりする。

 

言葉で会話してるんだけど、

言葉の外で通じ合えることってあると思う。

 

言外の何か。

言外のコミュニケーション。

 

全然違う言語を話してても妙に通じ合える時もある一方で、

 

同じ言語を話してて、

表面上、言葉のやりとりとしてはうまくいってるように見えるのに、

なんとなくのズレがあって、

「言いたいことはそれじゃない」ってことってある。

 

陳腐な表現になるんだろうけど、

「心で通じ合う」ってことなんだろうな。

 

 

「春ですね」

「春ですよ」って。

 

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世界の終わりじゃないんだし・・

 

アイルランドワーホリに向けての航空券集め。

 

順調に買えてるはずの航空券たちですが、

微妙につまずいたりしたりして・・・

 

ドイツ・スペイン間のフライトは、

イベリア航空に決めたのですが、

オンライン予約で「購入完了」の画面を見たのに、

待てども待てどもeチケットが送られてこない・・

 

心のうちじゃ・・

ま、ドイツ・スペイン間のeチケットの控えがなくても、

ビザの申請のためには、日本からヨーロッパとヨーロッパのどっかの都市からアイルランドまでのチケットがありさえすれば、書類としては十分だろうし、

ちゃんと購入完了した時点でスクリーンショットで予約番号も控えてるし、

大丈夫、飛行機には乗れる!

ぐらいには思ってました。

 

・・って思ってましたけど、問い合わせでもしようって見ると、

その時刻、イベリア航空の日本支店は営業時間外。

そうなると、無駄に気になってきちゃう。

 

で、やっちゃうんだなー。

イベリア航空 eチケット 届かない」

とか

イベリア航空 メール 来ない」

とかとかググってしまうんですよ。。

 

こちらの希望としては

「問い合わせしたらすんなり送られてきました」

みたいなコメントを期待しているのですが、

どうもネガティブなものばかりでてくる。

「電話がつながらない」

「メールも返信こない」

とかとか。

そうなると、急に不安になってみたりして。

 

で、翌日、多少ドキドキしながら電話をかけるわけなんですが、

なんかね、もう、

 

すんなり!

 

すんなり電話つながって、すんなりメールでeチケットが届いた。

 

まぁまぁ、結果論からのお話にはなりますでしょうが、

自分はなーにを慌ててたのか、と。

 

それで思い出したんだけど、

つい最近ゲストハウスのお客さんで、相当パニクってた人がいたんだった。

ブラジル人で、ゲストハウスなんて20年ぶりだしいろいろ教えてくれないかと、

予約前から何度も何度もメールをしてきてた人。

やりとりを見ながら、

この人は不安で、いてもたってもいられず、あれこれメールしてきてるんだろうなぁ、て思ってた。

 

で、何通ものやりとりの末、ついに本人から予約が入ったんだけど、

3月に来たいって言ってたのに予約が2月ってか「今日」来るんじゃん!っていう。

だから念のため、メールで「今日」の予約だけど、間違いないね?って送ってみたのです。

 

その後掃除の時間になり、パソコンから離れ、館内の清掃をしてたんですが、

 

電話が鳴ってる。

 

出ると、

ポルトガル語訛りの英語で

 

お願いだからカードには請求しないでくれ!

日付を間違えたんだよ!

どうにかならないかな?

お願いだから!

お願いだよー!!!!

 

・・みたいな、ものすごい慌てた電話でした。

 

状況がなんとなく見えてるこっちとしては、

勢いに圧倒されつつも、

いやいやいや、落ち着いてって感じで、

まず一言目にかけたのが

 

「わかりましたよ。この世の終わりじゃないんですから、まずは落ち着いて。」

 

でした。

そしたら相手も、ちょっと笑ったりなんかして。

 

改めて彼の話を聞くと、

メールを何通もしたのに返事がこないから慌てて電話したんだって言う。

 

メールを確認すると4通?5通?

 

送りすぎやろ!

 

しかも1件1件が割に長文・・。

いやいやいや、そんな来てても、わたし掃除してたし、ね?

 

結局、このおじちゃんは、本当に日付を間違っちゃっただけだし、

予約日の変更手数料とかキャンセル料もないからって伝えて一件落着。

 

まぁ、とっても素直な人なんだろうね。

 

でも、一連の出来事を見てたわたしとしては、

 

なにそんな慌ててるの?

「世界の終わりが来たわけでもないんだし?」って。

 

・・はい、そうでですね。

eチケットが来なくたって、世界は終わりません。

 

そのおじさんほど取り乱してはないけど、なんか落ち着かなかったのはわたしです。

 

動じない心、持ちたいな、と。

 

 

・・ってこんなこと書いてる今時分、

スイスからアイルランド行きのeチケットが届きません。

(コレ、もうネタなの?笑 エアリンガスさん・・)

でも、今全然心配してない。

 

大丈夫ー、心配ないー、なんとかなるー、で

絶賛どっしり構え中です。

これまた土曜日にチケットを購入したため、電話をかけようにも日本の支店が休みだし、

ひとまずはメールでの問い合わせしてみてますが、

ちゃんと飛行機は乗れるから大丈夫です。

 

動じない心、ほんの些細なことから練習中みたいです。

 

エイヤっと押す前にしゃがんでみたっていいのです

結構な勢いをつけて進めているアイルランドのワーホリ準備。。

 

あちこちフライトの予約をして、今、バルセロナまできました。

(チケット上はね。自分自身はまだ日本におります。)

 

もちろん今のおっきな目標はアイルランドでのワーホリなんですが、

アイルランドに向かう道中、今までに出会ってきたヨーロッパのお友達たちを訪ねる旅を計画しております。

 

「会いたい人に会いに行く旅」

 

 

振り返れば2年前、

カナダから帰国してくる頃です。

「今から2年以内にはみんなに会いに行くからねー」と、ヨーロッパの友人たちに言いふらしてきたんだっけ・・。

 

なかなか有言実行なタイプで、今回もコレを実行しようとしているわけだけど、

動き出すとはやいなーって思わされてる。

 

そうか、そうか、ワーホリ行けるのか、で、

ちゃんとビザをもらうために準備をしようとすると、

送る書類の1つに航空券があるわけです。

アイルランド入りを7月の半ばで考えていて、ビザの発給申請にはまだ余裕があるにしても、

あれこれ先延ばしにしたくないし、早速フライト情報だのを集めて1つ1つ納得しながらチケットを買っているところ。

 

もちろん、日本→アイルランド便で、乗り継ぎしつつダイレクトに行っちゃう手もあるわけだけど、ほら、2年前みんなに言いふらしちゃってるし・・会いにいかなきゃいけないし・・笑

 

で、です。

一応、お友達からの情報も得つつ、

お得な移動方法とか、どこの航空会社がいいとか教えてもらいながら

あれこれ調べて、

 

はいー、

「日本からフランクフルトのチケット買ったー!」

お次は

ハノーバーからバルセロナ行きー!」

って、ネットでポチッと次々に飛行機のチケットが買えてしまうわけです。

あとはバルセロナからスイス、スイスからアイルランドへ・・・

 

一気に全部のチケットを買ってもいいのでしょうが、

1つ1つの区間で、

どんなことができるかなー、

この人には会えるかなー、

どのくらいの期間いようかなー って、

気持ちを整理しながらチケットを買ってくと、なんとなくすでに旅しているような、

なんだか二度美味しい気分になれるのです。

 

そして、こうやって予約を進めていくと、

なーんだ、こんなに簡単なんじゃんって思ったりもして。

目をつぶってでもして、チケットの「購入」ボタンをエイヤっと押す。

それさえできればチケットは手に入るのです。

こんな簡単なんだよなー、って。

わたしは2年かかったのかー、って。

 

でもね、だからって、どっかの自己啓発系の本とかに書いてあるように、

「やりたいならやればいい」とか

「勢いが肝心」とか

「考えるより感じろ〜」とか

そういうことが言いたいわけじゃない。

 

だって、

わたしの2年、それなりに考えてきたわけだし、タイミングってもんがある。

 

 

前回の記事でも、「やりたいならやればいい」みたいなこと書いてみたけど、

押せ押せガンガンでやってみましょうってのとはちょっと違う。

 

お金のことをすごくすごく心配してて、それでも「エイヤ」するのもなんかモヤモヤするし、

他に優先すべき何かを感じてるはずなのに「エイヤ」しちゃうのもやっぱり悶々としてきちゃう。

 

でもでも、

だからってただそのタイミングを待てばいいかっていうと、そういうんでもない。

 

大切なのは、その「エイヤ」のためにどう行動を起こすかなんじゃないかと。

「今はコレはできなくても、アレならできる」が絶対あるはずだから。

 

もしかしたら、起こした行動きっかけで「エイヤ」したかったことから遠く離れることもあるかもしれない。

でもそれでもいいじゃん。

そういうこともあるよ。わたしもそうだよ。

"あの時"の「こうしたい」には賞味期限があることだってあるんだし。

 

なんだかつらつら書いてるけど、

要は、

動き出したらやっぱり速くて、

どーしよー、できるかなーって頭ん中であれこれ考えてるよりも、

本当に心躍るなら、本当に心ウキウキするなら、

なにかできそうなことからでもやってみるべきだなって、

そんなことを思うってことです。